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夢達成後の残りの人生

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生きるということ

今まで色々やりたかったことがあって、
中高の時には学校の授業はほとんど受けず、ゲームばかりしてゲーム大会で優勝したり、
高校卒業してすぐに兵役を終わらせて日本で留学生活を始めてそのまま日本での生活を続けたり、
日本で何とか就職して、小さい企業から上場企業、フリーで仕事するなどしたり、
外国人(日本人)の人と出会って結婚して子供もできたこと、
何となく話していた「子供が3人欲しい」というのも叶って、
自分の家が欲しいというのも叶って、
旅行は好きだけどインドアな自分に合うキャンピングカーが欲しいという夢も叶った。

夢を叶えたあとに残るもの

振り返ってみると、自分がやりたかったことは、ほとんど達成したということに気づいた。
ただ、夢を達成したからといって何も心配もないわけではなかった。
むしろ歳を重ねるにつれて、心配事はどんどん増えていって、
ちょっと時間ができたら何かの心配をし、
仕事や技術で遅れないためにすぐにIT関連ニュースを探したり、
好きなゲームをたくさんやる時間がないからと無理やり寝ずにゲームをしたり、
子供が自分の思う通りに動いてくれないからとイライラしてしまったり。

毎日毎日が夢を叶える前よりもずっと忙しく、
明確な夢もなくなってしまったので、
ただただなぜかわからないけどやらなくてはいけないことをやらねばいけなくて、
でもそれが大変でつらくて。

そういった毎日が繰り返されて、今自分がやっていること、行動すべてが、
本当にやりたくてやっているのか、しょうがないからやっているのか。
1つしかない人生このままでいいのか、
何のために生きているのか。

ただただ彷徨いながら、でも自分探しなんてする暇もなく、
すぐ目の前のやらねばいけないことをただただやっていると、
また夜になって寝て、起きたらまた同じような日々が繰り返される。

喜びが色を失うとき

自分にとって大事なはずの家族のことを嫌と思ってしまったり、
好きだったゲームが無意味でつまらなく感じてしまったり、
自分のやっている仕事が無意味と感じてしまったり。

そんな色々ある中で、そもそも自分の目標、つまり人生の夢が全て終わってしまったから、
幸いほとんど達成できて、ゲームをクリアしている状態になってしまっているなと。

だからやることがなく、やる気がおきず、
ただただ目の前の出来事一つひとつ、すべてが理由はなく、
ただただやらねばいけないタスクのように感じてしまって。

だから自分自身をただの歯車のように思えてしまい、
何をしても心から楽しめない毎日が続くだけになってしまう。
まだ40なので、これからたくさん時間がある。
このままではいけないと思ってしまう。

最後の夢を探して

最後に、つまり俺が息を止めるその瞬間に達成することができる目標、夢って何があるのだろうか。
毎日毎日それのために、その最後の夢を叶うために生きていきたい。
人生に目標が欲しい。

考える。
今考えている。

答えはないのかもしれない。

今思い浮かぶこと

•	死ぬ瞬間まで誰にも怒らない人間になること
•	思いやりのある人間になりたいこと
•	俺らしい人生を送りたいこと
•	家族を大事に生きていくこと

これが何となくの、なりたい人のイメージである。
このために毎日毎日自分ができることは何かなというのを考えることにする。

朝起きて何をするのが上の目標達成のための行動なのか、
身の回りの人にどう振る舞うのが上の目標を達成するための行動なのか。

最近は、やりたい事を全て達成できてしまったからといって、
上の何となく浮かぶ「自分がなりたいと思う自分」とどんどん離れていくような行動をしていると気づいた。

これからの生き方

なので毎日毎日、これからは何かをただ達成するという目標ではなく、
自分が自分自身としてあるために、
自分が思うような人間として生きていくために、
毎日毎日を過ごしていきたい。

そう思う今日の今頃。

未来の自分のために、頑張れ今の自分。

では、また!

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じにょぎ
著者
jinyogi
主にアプリの開発、最近は家族の思い出の動画作りにハマってる